ひまわりのときめきブログ

「死にたい」と思っているひまわりが幸せで”ある”方法を探す

死にたい私と止める私

私の中には、死にたい私とそれを止める私がいる。

2人はそれぞれの目的を果たそうとする。

 

死にたい私は死ぬために行動する。

死にたいと思ったことを人に言ったりしない。

人に話せば、死にづらくなる。

話せば、人に「死なないで欲しい」と言われたり、病院に連れて行かれたりするかもしれない。

死ぬことを邪魔されるかもしれない。

 

死にたい私は私に語りかけてくる。

高いところにいれば、飛び降りれば?と。

包丁を見れば、首を切れば?と。

電車のホームにいれば、落ちればいいんじゃない?と。

一日中死ぬ事を考えさせるのだ。

 

死にたくて死にたくて仕方なくなる時もある。

いつもは漠然と死にたいと思っているのだが、大きな衝動に駆られることがある。

「ああもう無理だ。死んでしまおう」と大きな絶望感に取り憑かれることもあれば、

行動に起こしたくて起こしたくてしょうがない焦燥感でいっぱいになることもある。

それで何度かドアノブで首を吊ってみたことがある。

死ぬ前に涙が出てきたり、冷静になったりして、コードを外す。

 

 

もう1人の私は”死にたい私”を怖いと思っている。

いつか本当に死んでしまうんじゃないかと恐れている。

死にたい私を消したいと思っているし、死にたいと思うことがなくなればいいのにと思っている。

どうにかしようともがいている。

人に相談して、解決策を聞いてみたり、話すことで助けを求めてみたりする。

なるべく死にたい気持ちを抑えようとする。

原因を突き止めようとしたり、休もうと決めたりする。

死ななければ何をしても、何をしなくてもいいのではと思っている。

学校を休んでも、辞めても、仕事を辞めても、ベッドから起き上がらなくても。

 

「死にたい」と思うなんて非常事態なのだ。

(思いすぎて、私には正常はわからないけれど)

死んだら全て終わるのだから、全部辞めていい。やりたいこと全部やっていい。

 

 

死にたい私を怖いと思っている私がいるから今の私は生きているのだ。

”死にたい”と”幸せでありたい”という矛盾を抱えながら生きている。

死にたいと思っていなかった頃の私が何を思っていたのか思い出せない。

死にたい私がいない私を想像できない。

 

今後どうしていったらいいのだろう。

死にたい私を消すのか、死にたい私を必要な存在として受け入れるのか。

どうしたら幸せに生きられるのかいろいろ試してみようと思う。